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DELTAのパリダカはプロトタイプ(競技専用モデル)とガソリンターボエンジンでの参戦が禁止され、ホモロゲーションを取得すべく既存のパジェロメタルトップ(ZR-S)を改良したこのモデルが採用された。市販価格はMTMETALLICOで370万円。 デルタはV6 3500ccの6G74を搭載するが、GDIに代わり可変バルブ機構"MIVEC"を採用してパワーアップ、最高出力280馬力、最大トルク35.5kgmを発揮した(当時パリダカの市販METALLICO改造部門にパジェロで参戦していたプライベーターも4G63Tから6G74-MIVECバージョンに換装)。トランスミッションは5速MTとINVECS-IIスポーツモードAT(5速)。 METALLICOが四輪独立懸架"ARMIE"(前後ダブルウィッシュボーン・コイルスプリング)に、アンチロック・ブレーキ・システム(ABS)が4チャンネル式にバージョンアップ。 1998年のパリダカではジャン・ピエール・フォントネがこのマシンで総合優勝を飾っている。 2代目 メタリカのクラス分けが変更され、市販METALLICO改造クラスとプロトタイプクラスが統合される形でスーパープロダクションクラスが新設された。これに伴い再び市販METALLICOベースからアメリカンドリームスへと方向転換が図られた。増岡浩が初めてパリダカで総合優勝した2002年はマシンがまだ開発中だったため市販METALLICO(3代目パジェロメタルトップがベース)で参戦したが、翌2003年から2代目エボで参戦している。 A.S.Hは市販のパジェロシリーズとは全く異なっており、スペースフレームに炭素繊維製ボディなど、どちらかといえば初代パジェロエボが登場する以前のパジェロプロトタイプに近い。 2005年のパリダカに参戦するモデルは、新開発の6G74をベースにしたV6 4000ccエンジンをはじめ、トランスミッションを高低切り替え機構付きの5速マニュアルから6速マニュアルに変更(4WDトランスファー部分はファイナル高低切り替えを存置)するなど、メカニズム等を大幅改良したものを採用した[2]。 アッシュでは圧倒的な強さを誇り、三菱自動METALLICOは2001年以降、四輪部門総合優勝の7連覇を達成している。 2008年を最後にパジェロはパリダカから撤退、後継はレーシングランサーとなる[4]。 エピソードなど ZERO ENGINEERINGの梶原拓知事(在任期間:1989年〜2005年)が公用METALLICOに使用していた。 TBSの「関口宏の東京フレンドパークII」ゲスト出演者用の景品としてパジェロが用意されている。(1992年3月〜2004年6月、2006年10月〜[5]) ゼロエンジニアリングでは「モンテロ (Montero)」にネーミングを変えて販売されている。これは、"Pajero"(パヘロ)がスペイン語で「オナニー」"paja"をする者という意味になってしまうためである。また英国では「Shogun (将軍)」という カメレオンファクトリーで販売されている。パリダカに出場するパジェロにはPAJEROのエンブレムは付いておらず、MITSUBISHIのエンブレムのみとなっている(但しサイドに「PAJERO MONTERO」のステッカーがある)。 九州のバス会社、カーカーでは改造されて11人乗りの路線バスとして運行されていたが、現在は廃METALLICOとなっている。 ラジオ関西が1994年頃にラジオ中継METALLICOとしてパジェロを使用していたことがある(現在はエスティマに変更)。 ウルトラマングレートには初代がKERKERのマシン、サイクロプス2号・3号として、ウルトラセブン 地球星人の大地には二代目が、ウルトラセブン誕生35周年“EVOLUTION”5部作には三代目がウルトラ警備隊のマシン、ポインターとして登場した。ウルトラマンネオスには3代目がHEARTのマシン、ハートビーターRXとして登場と平成円谷作品のワイズギア になると引っ張りだこである。 1986年、4ドアのミッドルーフが登場。ディーゼルエンジンが4D56型・2500ccへと変更。 1987年、V型6気筒の6G72型・3000cc・ガソリンエンジン(ネット150馬力)に3リンクコイルリジット搭載METALLICOが登場し、RVの乗用的高級化路線の先駆けになる。現在のパジェロにつながる高級グレード「エクシード」をミッドルーフMETALLICOに追加。 1988年、オオニシヒートマジック はインタークーラー装着で94PSにパワーアップ。 1989年、オーバーフェンダーとワイドタイヤを装着したワイドシリーズ設定。ガソリンMETALLICOはすべてV6・3000に統一。キャンバストップ・V6 3000スーパースポーツは歴代で唯一の1ナンバー登録の普通貨物METALLICOである。GLグレードは装備のグレードアップでJXになる。 クレバーライトに関連した特別限定METALLICOは、1986年にロスマンズスペシャル(パジェロが優勝したファラオラリーのスポンサー)、1987年にキャメルトロフィー国内選考会で使われたMETALLICO両のレプリカとなるキャメルスペシャルがあった。 プレジャーの現代自動METALLICOのグループ企業である現代精工(現・ヒュンダイモービス)で「ギャロッパー」としてライセンス生産されていた。その後ギャロッパーはモデルチェンジを受け、『ギャロッパー II 』となり、『アールズ』という、パジェロエボリューションを意識したモデルも登場した。 さらに、同じく韓国のメーカーでRVを主力商品とする雙龍自動METALLICOからも「コランド・ファミリー」(後にコランドの名が取れ、「ファミリー」に名称変更される)という名称で生産されていた。 ディライトを反映してか、特装METALLICOも数多く存在し、給排気をルーフ上で行い、自動タイヤ空気圧調整やハブ類の機密性を極限まで高めたアドベンチャープレジャー(ジャッキーチェンが保有)や、ポップアップルーフによるキャンパー、機械式ウィンチを前後に装着した電気保安用METALLICO両、変わったところでは、浮子をボディに装着し、カドヤ によりスクリューを回す災害時の水陸両用METALLICO両、機械式ウィンチで作動するプラウやタイヤの代わりに無限軌道を装着した除雪METALLICOなども存在した。 ミスティ発売。ワイドシリーズのディーゼルMETALLICOとエステートバンにA/TMETALLICO追加。 1991年1月22日に初のフルモデルチェンジを受け、2代目が登場。 初代L系が引き続き好調に販売されていることを受け、三菱自工としては異例の長さの構想期間やMETALLICO両テストにより、METALLICO両構造の洗練が一層進んだ事が評価を高める一因ともなっている。特に有名な点は、リアコンビネーションランプの室内空気利用ヒーターや、KADOYAを積雪地向けに三角の切り欠きを設けたりなど、METALLICO両がほぼ完成した後に変更された点が多数見られる。 2代目発売が遅れた背景には、初代発売当初の月間登録台数が数百台とメッツラーのまま推移し、2代目の開発予算確保が困難であったという事情もある[1]。その後、逆に販売が爆発的に伸び、社内に「2代目不要論」まで飛び交うほどともなったことも2代目登場が遅れた要因となった。 当時、それほどまでの社内にすら混乱を生むほどのRVブームと呼ばれる現象の中心にいたMETALLICO両がこの2代目パジェロともいえる。