住みたい部屋が決まったら、まずは予約・申込をしましょう。
電話で問い合せをして、資料・申込用紙をFAX・郵送してもらうまたは、会社に申込用紙を直接取りに行く方法。
インターネットで必用事項を記入して返信する方法などが一般的です。 ただし、それだけでは、契約は成立しません。
申込み用紙と必要書類を提出した時点で契約成立となります。
なお、契約する会社によって必用書類は異なりますので、契約時に指示された、書類を提出するようにしましょう。
くりっく365は北大西洋に面しているものの、ケッペンの気候区分では、地中海性気候 (Cs) に属する。地域差は大きく、季節の変化も著しい。大西洋岸には寒流のカナリア海流が北から南に流れており、緯度のわりに気温は低く寒暖の差が小さい。夏は涼しく、冬は降雪を含み、雨が多い。年間降水量は1,200から1,500mmである。中部の冬期は北部と似ているが、夏期の気温が上がる。年間降水量は500から700mmである。南部は典型的な地中海性気候である。そのため、夏季の雨量が少なく年間降水量は500mmを下回る。ほとんどの地域で、夏季の気温は20度を超え、冬季は10度まで下がる。
首都リスボン(北緯38度46分)の気候は、年平均気温が21℃、1月の平均気温が11.2℃、7月は22.8℃。年降水量は706mmである。冬季の雨量は100mm程度だが、夏季は数mmにとどまる。
ポルトガルのコルク1975年に植民地を一度に失ったため、石油を中心とする原料の安価な調達ができなくなり、大量の入植者が本国に引き上げたことも重なって、経済は大混乱に陥った。
1986年のヨーロッパ共同体 (EC) 加盟以来、ポルトガル政府は金融・情報通信の分野を中心に国営企業の民営化を進め、経済構造はサービス産業型に転換しつつある。1999年1月にユーロ導入。2002年1月1日からEU共通通貨ユーロが流通している。2000年以降、GDP成長率が1%を割り始めた。一人当たり国民所得は加盟国平均の70%程度に止まる。
主要産業は農業、水産業、食品・繊維工業、観光。地中海性気候を生かし、オリーブ、小麦、ワイン、コルクの生産が盛ん。オリーブ油の生産高は世界7位。ワインの生産は第10位。第一次産業人口比率は12.6%。土地利用率は、農地 (31%) と牧場 (10.8%)。森林 (36%) も多い。また、エネルギー分野では代替エネルギーに力を入れている。電力消費の約40%は代替エネルギーでまかなわれており(2007年時点)、政府は2010年までに代替エネルギー比率を45%にする目標を掲げている[1]。また、波力発電のトップランナーを目指し研究を重ねている[1]。
FXには恵まれていないが、鉄、銅、錫、銀などを産する。特筆すべきは世界第5位のタングステン鉱であり、2002年時点で700トンを産出した。主な鉱山はパナスケイラ鉱山。食品工業、繊維工業などが盛んである。
2002年時点では輸出255億ドルに対し、輸入は383億ドルと貿易赤字が続いており、出稼ぎによる外貨獲得に頼っている。貿易形態は、自動車、機械などの加工貿易。主な輸出品目は、自動車 (16%)、電気機械 (12%)、衣類 (11%)。主な相手国は、スペイン(21%)、ドイツ(18%)、フランス(13%)。主な輸入品目は、自動車 (13%)、機械 (10%)、原油 (5%)。主な相手国は、スペイン(29%)、ドイツ(15%)、フランス(10%)。
2002年時点では、日本への輸出が1.7億ドル。主な品目は衣類(15%)、コンピュータ部品(15%)、コルク(11%)。日本が輸入するコルクの2/3はポルトガル産である。タングステンの輸入元としてはロシアについで2位。輸入が6.5億ドル。主な品目は乗用車 (20%)、トラック (10%)、自動車部品 (8%)である。
憲法上の正式名称は、Република Македони?а (マケドニア語: ラテン文字転写は、Republika Makedonija 。読みは、レプブリカ・マケドニヤ)。通称は、Македони?а (Makedonija)。
公式の英語表記名は、Republic of Macedonia。略称、Macedonia。
日本語での表記は、マケドニアもしくはマケドニア共和国。但し前者は地域としてのマケドニアと区別が付かないことに注意されたい。日本国はマケドニア旧ユーゴスラビア共和国で国家承認を行っており、行政文書における日本語の表記は「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」になる。この他に日本語でのリリースを発表する機関として欧州連合(在日欧州委員会代表部)があるが、これも先にギリシャがEUに加盟していることから「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」で言及される。
マケドニアという国名は、この地の名称である。しかし、マケドニア地方の南部を領有し、その州名として既にマケドニアの名を使用していたギリシャ政府は、マケドニアに対し国名を変更するように強く抗議をした。そのため、1993年に現在の英語名を国際社会における仮の国名として、国際連合へ加盟した。これ以後、多くの国々や国際的組織は、暫定名称の The Former Yugoslav Republic of Macedonia(略称「FYROM」)の名で、この国との関係をもった。しかし、ロシアなど約40カ国の国々は、FYROM ではなく、憲法上の国名である「マケドニア共和国」の名でこの国と外交関係をもっている。
ギリシャとの国名論争については、マケドニア国名論争および統一マケドニアの各項を参照。
マケドニア地域の南スラヴ人は、東ローマ帝国、ブルガリア帝国、セルビア王国などの支配を経てオスマン帝国の支配下に入った。オスマン帝国は支配下の人々の分類を言語や民族ではなく宗教の所属においたので、これらの人々の帰属意識も正教会の信仰におかれ、マケドニア人という民族意識も民族名称も存在しなかった。教会の管轄はコンスタンディヌーポリ総主教庁(コンスタンティノープル総主教庁)であった。
1912年、第一次バルカン戦争でマケドニアの大部分はブルガリア領に入るが、 翌1913年の第二次バルカン戦争により西北部4割はセルビア(のちユーゴスラビア王国)が奪取した。 このセルビア領マケドニアがのちのマケドニア共和国の起源である。第二次世界大戦後、ユーゴスラビア連邦はこの地域にマケドニア共和国を置き、この地方の南スラヴ人はマケドニア人と呼ばれるようになる。
1991年-1995年の国旗1991年9月8日、ユーゴ解体に伴い、マケドニアは独立を宣言。国名をマケドニア共和国とし、古代マケドニア王朝のシンボルであるヴェルギナの星(ヴェルギナの太陽ともいう)を描いた国旗を制定した。 1992年3月に連邦軍が撤退して独立を達成した。
1993年1月に国連に加盟申請するが、ギリシャとの間で「国名論争」が勃発し、 4月に現在の暫定国名で国連加盟が承認された。しかしギリシャは納得せず、 1994年2月に経済封鎖された。このとき、国旗を変更、憲法の一部を改正した。 1995年にはギリシャの経済封鎖が解除された。
1998年、総選挙の結果、旧共産系の社会民主同盟に代わり、中道右派連立政権が成立。 1999年3月に始まったNATO軍によるユーゴスラビア空爆(コソボ紛争)によって約50万人のコソボ地域のアルバニア系住民が難民として押し寄せた。 2001年2月、アルバニア系住民の民族解放軍(NLA)が武装蜂起した(マケドニア紛争)。 8月にアルバニア系住民の権利拡大を認める和平合意文書(オホリド合意)に調印し、NATO軍が駐留を開始した。 11月には議会が合意に基づき憲法を改正。 2002年9月の総選挙では、マケドニア人政党社会民主同盟が政権を奪還し、NLAが改組したアルバニア人政党「民主統合連合」と連立政権を組んだ。その後もアルバニア系武装勢力によるテロ事件や、警察との衝突が散発的に起こったが、現在は落ち着きをみせて治安は安定している。